★ そうだ、キャンプへ行こう。 ★
クリエイター木原雨月(wdcr8267)
管理番号314-4071 オファー日2008-07-30(水) 12:52
オファーPC 佐藤 英秋(ccss5991) ムービーファン 男 41歳 俳優
ゲストPC1 須哉 久巳(cfty8877) エキストラ 女 36歳 師範
ゲストPC2 レイド(cafu8089) ムービースター 男 35歳 悪魔
ゲストPC3 姫神楽 言祝(cnrw9700) ムービースター 女 24歳 自動人形
ゲストPC4 薄野 鎮(ccan6559) ムービーファン 男 21歳 大学生
ゲストPC5 柝乃守 泉(czdn1426) ムービースター 女 20歳 異界の迷い人
ゲストPC6 須哉 逢柝(ctuy7199) ムービーファン 女 17歳 高校生
ゲストPC7 ルシファ(cuhh9000) ムービースター 女 16歳 天使
ゲストPC8 フェルヴェルム・サザーランド(cpne6441) ムービースター 男 10歳 爆炎の呼び子
<ノベル>

 空から太陽がさんさんと照りつけ、蝉がミンミン鳴いている。
 部屋の片隅からぶいーんと扇風機が回る音。
 扇風機の風を真っ正面から浴びながら、茶の髪をはたはたとなびかせて大きなため息を吐いた。
 その背中は、外で太陽が輝いているというのに、秋風を背負い込んでうな垂れている。
 畳にごろんと寝転がると、ピュアスノーのバッキーが額までよじ登ってきた。
「寂しいねぇ、白玉」
 くすん、といじけながら、佐藤英秋は本日何度目かわからない大きなため息を吐いた。白玉と呼ばれたバッキーはただきょとりとしてしている。
 英秋が暇をもてあましている理由はただ一つ。
 合宿やら旅行やらで、息子娘たちが構ってくれないことである。
 昔は夏休みにでもなればプールやらキャンプやら海やらへと行ったものだが、大きくなった二人の子供は今やすっかり親離れをし、一緒にお風呂にすら入ってくれない。大学二年生と高校一年生ともなれば、それは当然と言えるのだが、子供が愛しくて愛しくて仕方がない英秋にとってはちょっと寂しいことである。しかし、そんな子供の成長はまた、親として喜ばしくも思う。
「しょうがないかぁ」
 微笑むと、白玉はむいむいと鼻面を英秋の額にすり寄せた。くすぐったいよ、と白玉の背中を軽く撫でて、英秋はがばりと飛び起きた。ころころと白玉が転げ落ちるが、見事にキャッチし、英秋はその額をちょんと突いた。
「そうだ。キャンプにでも行こうか」
 そうと決めれば話は早い。手の上できょとりとしている白玉に微笑んで、いそいそと携帯を取り出し、短縮ボタンを押した。長いコール音のあと、我が子同様に可愛がっている少女の声を聞く。
「あ、もしもし? ルシファちゃん? 突然ごめんねー、あのさ……」

 ◆ ◆ ◆

「あ、いっちゃーん!」
 車の窓から顔を出して、ルシファが大きく手を振った。それに気付いた柝乃守泉も大きく手を振った。
「お誘いありがとう、ルシファちゃん。今日は誘ってくれてありがとうね。とっても楽しみだったの」
 白のワゴン車が目の前で止まって、乗り込みながら泉は笑った。奥で、レイドがふてくされたような顔で、しかし泉に目をやると軽く手を上げた。
「おはよう、泉ちゃん」
 運転席から振り返る英秋に、泉は微笑む。
「おはようございます、佐藤さん! 晴れて良かったですね」
「うん、絶好のキャンプ日和で嬉しいよ」
 微笑み返して、英秋はアクセルを踏んだ。

「あ、もしもし? ルシファちゃん? 突然ごめんねー、あのさ、キャンプに行かない?」
 そんな電話が英秋からあったのは、一週間ほど前のことだ。その日はあんまりに暑くて、畳の上でゴロゴロと転がっていた。外の蝉はこれでもかと言わんばかりに鳴いていて、暑さに拍車をかけていた。その時、電話のコール音が鳴ったのだ。立ち上がる気力もなく、どうせ誰かが出るだろうと転がっていたが、なかなかそのけたたましい音は止まらない。舌打ちをして立ち上がったところで、けたたましい音は止まり、同時に相棒の高い声が聞こえた。
「もしもーし? あ、佐藤さん!」
 その名前を聞いて、レイドはひくりと顔を引きつらせた。
 なんだかとっても嫌な予感がした。
「きゃんぷ?」
 予感は確信に変わり、レイドは頭を抱えた。
「わー、行きたいですっ! 他にも誰か誘っていいんですか? えとえと、お姉ちゃんたちといっちゃんと、それからまもちゃんたちにも聞いてみますねっ!」
 レイドはそのまま熱で溶けてしまいたくなった。
 なに、その凶悪なメンバー。
「ううん、今からとっても楽しみだから! はい、レイドとお手伝いに行きますねっ!」
 しかも自分は行くこと決定されているし。
 しかも手伝いとかすることになってるし。
「……ぜってー行かねぇ」
 不可能なことを口にして、レイドは再び畳に倒れるように寝転んだ。もうふて寝するしかない。
 案の定、相棒はパタパタと足音を立てて部屋に駆け込んで、レイドに飛びかかった。
「レイドーっ!」
「ぐえ」
 カエルが潰れたような声とちょっと腰がぐきっとかいったような音がした気もするが、そんなものは気にせずルシファはにこにこと笑った。
「レイドレイド、あのね、キャンプ行こうって!」
「やだ」
「ええー、行こうよー、お姉ちゃんたちも一緒だよ?」
 余計行きたくないわ。
 それは心の中で思うだけにして、黙っていると、ルシファはねぇねぇ、とレイドを揺すり続ける。
「山の方のキャンプ場だって」
 やま、と聞いてレイドの眉がぴくりと動いた。
「川もあって、気持ちいいって」
 かわ、とレイドは小さく呟いた。
「お魚さんもいっぱいいるって!」
 釣り。
 ぐらぐらとレイドの中の天秤が揺れる。
「ねえ、レイドー」
 ごろりと転がって、ルシファを見やる。真っ赤な瞳が真っ直ぐにレイドに向かっている。
「行こうよぅ」
 レイドは大きくため息を吐いた。
 この相棒に、勝てた試しなど、ないのだ。

「やあ、お待たせ」
「今、出てきたところですから。晴れて良かったですね」
 次に英秋のワゴンが止まったのは、薄野宅であった。鎮はいつもと変わらぬ微笑みをたたえて、軽く手を挙げた。
「フェルくん、やっほー!」
「やっほーです、ルシファちゃん!」
 うきうきと麦わら帽子を被ってぴょこりと車に飛び乗ったのは、フェルヴェルム・サザーランドだ。その後に鎮が乗り、遅れてタッパやら何やらを抱えた姫神楽言祝が助手席に乗り込んだ。

「もしもし、まもちゃん? ルシファです! あのね、きゃんぷに行かない?」
「キャンプ?」
 ルシファからそんな電話があったのは、一週間ほど前だった。
「うんっ! 佐藤さんから電話があってね、夏休みだから、キャンプに行こうって! 子供たちが構ってくれなくて寂しいから、って!」
 そんな裏事情まで言わなくてもいいのに。
 鎮は苦笑した。ぱたぱたと、フェルヴェルムがやってきて見上げてくる。ふわふわとした赤い髪を撫でながら、そうだね、と微笑む。
「それじゃあ、ご一緒させてもらおうかな。フェルも一緒でいいかい?」
「もっちろん! あ、姫ちゃんたちもどうかな? 人がいっぱいいた方が楽しいって佐藤さん言ってたの」
「日程が決まったら、みんなに都合を聞いてみるよ」
「わかった! 決まったら、また電話しますね!」

 最後にワゴンが止まったのは、須哉道場だ。
「お姉ちゃんっ!」
「おう、ルシファ。晴れてよかったな」
 須哉逢柝は可愛い義妹の笑顔に、頬をゆるめた。
 ルシファから電話があったのは、一週間ほど前。須哉逢柝は師匠である須哉久巳と手合いの最中だった。
 レイドを演じた俳優・佐藤英秋からキャンプに行こうという誘いがあり、大人数の方が楽しいので、自分と師匠もどうか、ということだった。
 逢柝としては、嬉しいに決まっている。しかし、久巳も、となるとわからない。
 まだか、とのぞきに来た師匠に、逢柝は切り出した。
「師匠。ルシファが、英秋さんたちと一緒にキャンプに行かないか、と誘ってくれてるんだけど」
 久巳は軽く眉を上げて腕を組む。
「行けばいいじゃないか」
「いや、師匠も一緒に」
 久巳は柱にもたれ、ふぅん、と思案するような顔をした。
「ま、いいだろう。道場の方も、出来損ないの弟子が一人いるだけだしねぇ」
 にやりと笑った師匠に、逢柝はなんとなくげんなりとした。けれどもともかく、久巳の了承も得られ、本日に至る。
「しっかし……これ、どうやって乗るんだ」
 言ったのは、久巳だ。
 それもその筈。
 佐藤のワゴンは三列八人乗り。後ろの一列はキャンプ道具を詰め込むために使えないため、実質二列である。すでに七人が乗っており、ぎゅうぎゅう詰めなのだ。
「あ、ええと、それじゃあ、レイドさん」
 ふうわりと泉の体が淡い光に包まれたかと思うと、銀の毛並みが美しい猫に変じ、レイドの膝にちょこりと収まった。
「ちょっとお膝を拝借しますね」
「なっ、ちょ、……っ!」
「うげ、変態」
「へんたい?」
「へんたいへんたい!」
「連呼すんなガキ共ーっ!!」
 逢柝に始まり、ルシファ、フェルヴェルムと連続して、レイドはがっくりとうな垂れた。所在なさげにおろおろとする泉に、レイドはため息を吐いてぽんぽん、と叩いた。
「それじゃ、ルシファはあたしの膝に座りなよ」
「ほえ」
「それでは、フェルヴェルム様は、わたくしが」
「わーい!」
 そんなわけで、運転は佐藤、助手席に久巳、真ん中の列に、猫型泉onレイド、ルシファon逢柝、フェルヴェルムon言祝、そして鎮ということで収まった。
 言うまでもないが、かなり無理矢理で、かなりぎゅうぎゅうである。冷房はガンガンかけているが、じんわり汗ばむくらい暑い。
「……佐藤、これは」
「うーん、本当は駄目だねぇ」
 久巳に、英秋は眉をハの字にして笑う。内緒ね、と唇に人差し指を当てて、いよいよ車は山のキャンプ場へと向かうのであった。

 ◆ ◆ ◆

「すごーい、きれーい! あ、フェルくん、川があるよ、川っ!」
「本当ですー、泳ぎたいですね!」
 きゃっきゃとはしゃぐ二人に、逢柝と泉が待てをかけた。
「先に、テント張っちまおうぜ」
「その後に、みんなで遊ぼう」
「てんとー!」
「テント!」
 キャンプ場に来るまでの道程で、初対面もなんのその、すっかり打ち解けたようだ。
 飛び跳ねる二人に、大人たちはくすくすと微笑む。
「元気だねぇ」
「そうだな」
「うるせーだけだ」
「元気でよいではありませんか」
「ねぇ。ああ、幸せー」
 鼻の下を伸ばしまくっている英秋に軽く引いて、レイドはともかくテント用具を引っ張り出した。力仕事は、男の仕事である。……が、隣りで言祝が軽々と倍の量を担いでいる。頑張れレイド。
 気を取り直して、まずは骨組みである。これは、男三人と言祝がやった。英秋は慣れた手つきで組み上げていくし、鎮は英秋に習いつつ組み上げていく。言祝は一見普通の女性だが、実は自動人形である。腰を痛めているレイドよりもテキパキ動くあたり、レイドは微妙な表情だ。
 その間に、女子供がインナーとアウターを広げる。広げながらもきゃっきゃとはしゃぐのは、チルドレンクオリティである。もちろん、これらを骨組みにかぶせるのは男どもの仕事だ。二枚をかぶせたら骨組みの最後の足を立て、杭を打ってインナーとアウターを固定する。
 ルシファ達の眼がキラキラと輝いた。ルシファにとっては、野宿はしたことがあっても、テントなんてものは使っていなかったので、余計に新鮮であった。 
 三つのテントが並んだところで、それぞれに荷物を運び込んだ。ちなみに、男に一つ、女に二つ、である。若干男テントがカオスな予感プンプンである。
「レイドたちのテントが一番おっきいね」
「男四人で寝るんだから、当たり前だろーが」
 レイドが言うと、フェルヴェルムが驚いた顔をした。
「ええ、わたし、ルシファちゃんと寝たいです」
「アホかっ!」
 ぺしん、とフェルヴェルムの頭をはたく。
「おとーさんは、おとーさんがルシファと寝たいんだよな?」
「下衆」
 久巳がにやにやと言い、逢柝が白い眼でじろりと見やる。
「駄目ですよ、レイドさんじゃあ、さすがに犯罪ですからね」
「だからなんでそうなんだ……っ!!」
 追い打ちをかけるように鎮が言い、レイドはがっくりとうな垂れた。泉と言祝が微妙な顔で見つめる中、ルシファはきょとんと首をかしげる。
 と、フェルヴェルムはうるうると瞳を潤ませる。
「だって、せっかくのお泊まり会なのに……」
 ぐぅ、とレイドは唸った。
 めんどくせぇえええええっ!
 そんなフェルヴェルムを、ひょいと英秋が抱き上げる。
「あのね、フェルくん。できることならね、僕もルシファちゃんたちと寝たいよ」
 カッとレイドの眼が不穏に光った。思わず女性陣の眼も引きつった。
「でもね。フェルくんはもう立派な男の子でしょう? 女の子を困らせるのは、嬉しくないよね」
 英秋の顔をじっと見て、やがてフェルヴェルムはこくりと小さく頷いた。それに微笑んで、英秋はフェルヴェルムの頭をなでた。鎮も、ぽんぽんとフェルヴェルムの背中を叩く。
「……お兄ちゃんと佐藤パパと並んで寝る」
「本当? やったぁ」
 いやもう、ホント嬉しそうだなぁ、佐藤さん。
「さ、子供たちは遊んでおいで。久巳さん達も、見てあげててよ」
「それじゃ、行くか」
「はーい!」
 ぱたぱたと走っていく子供達を見送り、英秋は微笑んだ。
「あれ、レイドくんはどこ行くの?」
「釣り」
 いそいそと釣り道具を取り出す時、鞄の中に癒しを見て、レイドはひっそりと笑った。妙にふにゃけた顔を、ミッドナイトのバッキーがきょるりとした眼で見ていたことは、知らない。

「お、ツユクサ」
 端に生えていた青い紫の花を咲かせた草に、レイドは目をやった。もちろん、食材としてである。山で育った彼は、山菜にもそこそこ詳しかった。
「帰りに取ってくか。クズもねぇかなぁ」
 ぐるりと首を巡らせて、まあともかく釣りだ、と迫り出した岩山に上った。下に、水の川を掛け合ってきゃっきゃと遊ぶ子供達が見える。夏とはいえ、こんな山の中だ。水もきっと冷たいことだろう。それが、気持ちよいに違いない。目を細めて、レイドはさらに上流へと向かった。
「さて、と」
 レイドは川に入った。川の水は思った通り、冷たいが心地よい。居候宅からこっそり拝借したタッパ片手に石をめくる。川虫を探しているのだ。この銀幕市には、わざわざ釣りの餌などが売っているけれど、主夫レイドは、そんなものに金をかけない。元々、山野で生きてきたのだ、餌も道具も現地調達がごく当たり前のこととなっていた。そんなわけで、彼の即席の釣り道具は、適当な太さの竹を切ったものと、適当に削った釣り針、そしてその場で捕まえた川虫である。糸は流石に即席、というわけにはいかないので、以前に仕方なく買ったものだ。
「あー、落ち着く……」
 釣り針の先に川虫を引っかけ、放る。岩山にゆったりと座って、川のせせらぎ、鳥の声を聞く。
 久しぶりの「山」に、レイドは懐かしい思いにかられた。その昔、ルシファと共に流浪した場所。銀幕市に来てからのしばらくも、実は野宿をしていた。「文明」というものに、ひどく驚かされたことを今でもよく覚えている。
 夏の陽射しも、今はなんだかぽかぽかとして心地よい。このままうたた寝してしまいたいくらいだ。目を閉じる。風が吹いて、レイドの茶髪をさらさらと撫でた。
─レイド、糸が引いている─
 聞き慣れた声に、レイドは目を開けた。いつも傍にいる使い魔、ヴェルガンダが赤い瞳でこちらを見上げている。手の中では確かに糸を引く気配があって、レイドは竿を引いた。なかなか生きがいい。暴れる糸を引き寄せる。アユだ。釣り針を外し、川水を汲んだバケツに放り込む。再び釣り針に川虫を引っ掛けて、放った。
「なんか久しぶりだな、こうしているのも」
 それに肯定するように、ヴェルガンダは赤い眼を細くした。それに小さく笑って、レイドは陽の光を浴びて輝く川面に眼をやった。

 その頃、下流では。
「冷たーい!」
「きもちいーい!」
 お子さま組が川へと入ってきゃっきゃとはしゃぎ、保護者組は靴を脱いで足だけ川に浸けて、そんなお子さまたちを微笑ましげに眺めていた。
「いやぁ、若いっていいねぇ」
「久巳さんも、十分お若いですよ」
「ふふ、アンタが言うかい?」
 久巳は笑って、また川でびしょ濡れになっている子らに目をやった。
 我が子も同然として育ててきた逢柝が、照れくさそうに、しかし嬉しそうに笑う姿が嬉しい。街に魔法がかかった時はどうなるものかと思ったが、弟子があんな風に笑えるならば、この出来事はとてもいいことなのだ。そして自分も、こうして和やかに微笑むことができることに、少なからならぬ喜びと照れくささがあった。
「姫ちゃーん! 師匠さーん!」
「お二人も、いかがですかー!」
 いつだったか、笑いのタネにと、そして少しの感謝と共に贈った白イルカが、ぐしょ濡れになりながら微笑んでいる。笑って、手を振り、自分を呼ぶ声。いつの間にか、心地よくなった声。馬鹿弟子が心を許した少女の声。自然と頬が緩み、立ち上がった。言祝も、微笑みながら立ち上がる。きっと、久巳と同じことを思っているに違いない。
「つーか、ルシファ、いつの間にソレ持ってきたんだ?」
「ふえ? あ、さっきスイカ取りに行ったときにね、レイドが大事そうにユウちゃん入れてたの思い出したの」
 にこにこと微笑むルシファの頭を撫でてやる。くすぐったそうに笑うルシファ、横目でちらりと逢柝を見やる。それににやりと笑ってやれば、馬鹿正直な我が弟子は、むっすと久巳を睨み付ける。それにさらに笑って、彼女の頭もぐしゃぐしゃと掻き混ぜてやった。
「んなっ、何すんだよっ?!」
 顔を真っ赤にして抗議する。
「はあ、ルシファはかこんなにわいーのになぁ。おまえはちっとも可愛げがない」
 なぁルシファ、と軽く抱きつくような仕草をすれば、それこそ真っ赤になって怒る。それが怒りでないことなど、わかりきっているのだけれど。
「ルシファから離れろっ」
「やれやれ。おまえといい、レイドといい、変わらないな」
「はあっ?! あんな変態ロリコン髭すけべと一緒にすんなよ!」
 逢柝が正拳突きを繰り出してくる。それを軽くいなして背後へ回ると、すかさず回し蹴りを繰り出してきた。久巳は振り上げられた足をがしりと掴み、足払いをかける。水しぶきを上げて、逢柝が倒れた。更に起き上がろうとしたところに、フェルヴェルムが飛び込んだ。続いてルシファも飛び付く。くるりと宙返りをして猫に変化した泉がちょこん、と逢柝の頭に乗っかって、逢柝は笑いだした。
 みんなの、笑い声がする。
 久巳も、声を上げて笑った。

 その頃、テント近くでは、英秋と鎮が折り畳みのテーブルや椅子を並べ、さらには何やら木を組み上げていた。
「ごめんね、手伝ってもらっちゃって」
「いえいえ。みんなを驚かせたいのは、僕も同じですから」
 微笑んで、最後の木を積み上げた。二人は首から下げたタオルで汗を拭う。
 鎮はアウトドア用の折り畳み椅子に腰掛けた。英秋が、インスタントで悪いけど、とコーヒーをいれ、マグカップを鎮に渡す。それを受け取り、軽く息を吹きかけて一口飲んだ。
「おいしいです」
 微笑むと、英秋もよかった、と微笑み返す。
 ぎしりと背もたれに体を預けた。木々の風に吹かれる音、鳥の鳴き声、遠くに聞こえるのは川に遊びに行った子らの声だろうか。スイカと白いイルカのぬいぐるみを抱えて走っていったのを思い出して、ふと頬がほころぶ。それを見て、鎮はくすりと微笑んだ。
 足元からミッドナイトのバッキーがよじ登ってくる。雨天、と小さく呼ぶと、ふっと顔を上げてむいむいと頭をすりつけ、膝に上がるとやっと落ち着いたようにくるりと丸くなった。
「かーぁわいいなぁー」
 そんな雨天にでれでれと鼻の下を伸ばすのが、英秋というものである。ピュアスノーのバッキーがぷえー、と肩で鳴いた。それに笑って、白玉のちょいちょいと鼻をつついてやった。くすぐったそうに英秋の指に、えいえいと短い腕を伸ばす。それには鎮も微笑んだ。膝の上では雨天がきょるりとした目でそれを眺めていた。
 ムービーファンがバッキーに癒される。これも、銀幕市ならではだ。
「……そう、僕、佐藤さんのこと、前から知っていましたよ」
 鎮が言うと、英秋は驚いた顔をした。そこそこ知られた俳優ではあると思うが、とても有名、とは言えない。それを読み取ったのか、鎮が笑う。
「僕、ファンタジー映画が好きなんですよ。『願い』は、冒険ファンタジー映画じゃないですか、実は見た事があるんです」
「ああ、そうなんだ。いやぁ、なんか照れるなぁ」
 これも、ファンならではの会話だ。

 ◆ ◆ ◆

 さて、そろそろ日が傾いてきたという頃。
「わーっ! すごいすごい、なぁにこれっ!」
 声に振り返ると、フェルヴェルムとルシファが駆け寄ってくるところだった。川から戻ってきた彼女らはすっかりびしょ濡れになって、英秋と鎮がバスタオルで拭いてやった。あ、もちろん大人組はテントへ入って早々にお着替えしましたよ。念のため。
「ねえねえ、これなぁに?」
 拭くのが先と、着替え終わってからフェルヴェルムが目をキラキラとさせている。それに、英秋は嬉しそうに笑った。
「ふふふ、よくぞ聞いてくれました! これは」
「キャンプファイヤーか、懐かしいねぇ」
 テントから出てきた久巳が感心したように言うと、若干、英秋が淋しそうな顔をした。それを鎮と言祝が微笑みながら、逢柝が少しの呆れを含んで笑いながら、泉が困ったようにおろおろしながら見ていた。
「きゃんぷふぁいやー?」
「ま、後でわかるよ」
 ぽんぽんとフェルヴェルムとルシファの頭をなでる久巳。英秋は更に淋しそうな顔をした。
「何やってんだ、お前ら」
 山と釣りを満喫しまくったレイドが、バケツを下げて戻ってくる。
「なんだ、おまえ。遊んでたのかよ」
「ばっ、遊んでたんじゃねぇよ、夕飯の食材になると思ってだな」
「遊んでたんだな」
「だー、もう!」
 須哉師弟には何を言っても旗色が悪い。レイドはバケツを鎮に乱暴に押し付けると、テントに向か……おうとして、それを見つけてしまった。びっしょびしょに濡れそぼった、白イルカのユウちゃんである。ふらふらとした足取りでテントに入り、しくしくとふて寝をしたのは、言うまでもない。そんなレイドを見て、ヴェルガンダがひっそり切なくなったのは、秘密の話である。
 鎮はバケツののぞき込んで驚いた。中にはアユにマス、イワナなどが泳いでいたのである。新鮮な上に、大漁だ。ヴェルガンダがレイドの後を追って消えた後には、山菜を満載した籠が置かれていた。フキにツユクサ、スベリヒユなど。
「それでは、準備に掛かるとしましょうか」
 言祝がにこりと微笑んで、夕食作りは始まった。

 晩ご飯の班分けは自然とできた。
 調理班は、お子様ランチが得意な英秋、家事から戦闘までなんでもござれな言祝、そしていつも弟子に任せてばかりだから、という久巳。そして、サポートとして泉。
 特に、言祝と久巳は魅せた。
 うなる包丁、煌めく包丁捌き、刮目せよ、これぞプロの技……。
 彼女らが通ったところは、整然とした野菜や山菜や肉たちが並んでいるのみだ。初対面とは思えぬ、見事な連係プレーである。一歩間違えば、お互いが野菜達と同じ運命を辿りかねない技だったが、そこはプロ、互いに見やればふっ…と不敵に笑うのみ。
 鎮は英秋と一緒……と思いきや、彼が手にしたのは飯ごうである。
 飯ごうというのは、蓋が二重になっており、外蓋で約三合、内蓋で約二合の米が量れるようになっている。よって、飯ごう一つでは二合から三合しか炊けないので、使う飯ごうは三つだ。また飯ごうというのは、形が海中ゴーグルのように曲線を描いているので、手で研ぐのは難しい。そこでどうやって研ぐかと言えば、米と水を入れて、外蓋をして、上下に振るのである。水を替えて数回繰り返せばいいのだ。ただしこれ、簡単そうに見えて意外と力がいる。蓋をしっかり押さえておかないと、水と米が振られた勢いで吹っ飛ぶからだ。もちろん、鎮はそんな愚は犯さないけれども。
 さて、米を研ぎ終わったら、火にかける。……前に、三十分ほど寝かせておく。米がほどよく水分を吸って、良い具合に炊きあがるのだ。
「あ、待って、鎮くん」
 鎮が振り返ると、英秋が何やら赤黒いものを持って来た。
「それなんですか?」
「うん、ただの赤土だよ。クレンザーとかでもいいんだけど、せっかくあるから、ね。エコだよ、エコ。あ、それでね、これを外側に塗っておくと、ススとか簡単に落ちるんだ」
 慣れた手付きで赤土を薄く塗り終えると、よろしくね、と言って英秋は戻っていった。
 一方、ルシファ、フェルヴェルムはキャンプファイヤーに向けて、薪集めである。この二人だけでは心配過ぎる! 攫われる! 喰われる! ということで、逢柝も二人と共に薪集めをすることにした。そりゃもう、山ほど集めてきた。飯ごうや即席コンロの火に使うだけでは有り余るくらい。
 鍋の火の調整は、ルシファとフェルヴェルムが任されていた。もちろん、後ろには大人組が待機しておりますよ。ルシファが灰を被りながら、汗だくになりながら必死に火を維持しようとしている隣りで、フェルヴェルムはにこにこと笑っていた。時々、枝を弾いて飛ぶ火の粉を、そっと勢いをゆるめる。フェルヴェルムは、爆炎の呼び子である。火の神を祭る一族の生まれで、その御子であるフェルヴェルムは、炎によって守られているので、火力調節もお手の物なのだ。
 ちなみに、ふて寝してしまったレイドは川魚を捕ってきてくれたという事で、そっとしておくことにしていた。 
 薪集めから戻ってきた頃には空はすっかり暗くなって、英秋はランタンを取り出した。
「ちょ、佐藤さん」
 薪を下ろした逢柝が顔を引き攣らせて思わず声を上げた。
「ん?」
「ん? じゃないよ、さっきから同じとこから、どんだけのモン取り出してんのさ」
 英秋が取り出したるは、一抱え程度のプラスチック製の箱。そこから、軍手から工具からランタンから、そう言えばコンロやら網やら炭やらも取り出していたような気もするし、とにかく明らかにそんな箱に収まる程度のものでない数のアウトドア用品が溢れ出してきたのだ。

 説明しよう!
 佐藤さんの車に搭載されている「おでかけボックス」には、アウトドアに必要な物が何でも入っているのだ!

 そんな天の声が聞こえたような気がして、いやいやと逢柝は頭を掻いた。
「あの、マジ、ドラ○もんもまっつぁおな四次元っぷりだから」
「あはははは」
 英秋は良い笑顔で笑う。そりゃあもう、親指を立てて白い歯をキラリと光らせて。
 逢柝はもう突っ込む気力も失せて、大きくため息を吐くと、ルシファとフェルヴェルムが抱えている薪を積み上げた。

 賑やかな声と、なんだか良い匂いがテントの中まで流れてきた。
─レイド─
 静かな声が、耳元で聞こえる。それに小さく身じろぎして答えると、ヴェルガンダは小さく嘆息した。
─もう、いいか─
 呆れたように、嘆くように、情けなさそうに言うヴェルガンダに、レイドは気怠げに体を起こす。その様子に、ヴェルガンダはもう一つ、息を吐いた。
「わかってる……いや、わかった。だから何も言うな」
 顔を覆って、レイドは先ほどまで抱き枕のようにしていたヴェルガンダの体をぽんぽんと叩いた。ヴェルガンダはするりと起き上がり、首を振る。
 そこへ、外からパタパタと走ってくる音。誰と言わずとも、すぐにわかる。
「レイドー、ご飯できたよー。あっ、ヴェルちゃんも食べる?」
 暗いテントを覗く、白い少女。ヴェルガンダを見て、更ににこにこと笑みを深める。じろりとレイドを見やるヴェルガンダ。それにレイドは頭を掻いた。
「今行く。……それからな、ルシファ。ヴェルガンダ、だ」
「ふえ? ヴェルちゃんって呼ぶの、だめ?」
 哀しそうに眉をハの字にするルシファ。ヴェルちゃん、と呟くと、ヴェルガンダは小さく頭を振って、するりと暗い影の中へ消えた。しゅんと項垂れるルシファに、レイドは小さく息を吐いて、
「せめて、ヴェルぐらいにしといてやれ」
「……かわいくない」
 それに苦笑して、レイドはルシファの白い髪をぽんぽんと叩いた。テントから出る。
「おっせぇぞ、ねぼすけロリコン変態ヒゲスケベ野郎」
「ちょっと待て、なんか色々増えてねぇかっ!?」
「的を射た良い渾名ですねぇ、ゴロも良いし」
「いや、よくねぇよ!! つーか、俺の名前、影も形もねぇんだけどっ!?」
「じゃあ、ねぼすけロリコン変態ヒゲスケベ野郎……はぁ、レイド」
「何そのため息っ!? つーか、一番最後だけでよくねぇっ!?」
 そんなやり取りに笑いが起こって、レイドに取っては笑い事じゃないのだけれど、ともかくも食事は始まった。
 炊きたてご飯は、米の他に餅米を混ぜた、手の込んだ鎮の自信作である。
 レイドが摘んできたフキは、大根やにんじん、ごぼうなどなどと煮込み、ヘルシーなみそ汁となった。ツユクサはあっさりとさっぱりとしたおひたし、スベリヒユの辛子醤油和えと胡麻和え。シャキッとした食感に、「スベリ」というだけあるぬめり感は、歯ごたえのあるモロヘイヤを想像してもらえればわかりやすいかもしれない。
 さて、英秋が腕を振るったお子さまランチは、鎮のご飯を別の味付けにしてしまうのはもったいないので、という理由で、おかずだけにすることにした。ハンバーグに唐揚げ、ナポリタン。およそキャンプで作るような品ではないが、子供たちには大好評である。添え付けにはポテトサラダと飾り付けにトマトを配し、目にも鮮やかである。ちなみに、ポテトサラダは泉作だ。
 ちなみに、英秋はトマトが苦手である。こっそり除外していたところを泉に発見され、ちょっと目を離した隙に自分の皿にトマトが綺麗に並んでいて、ちょっぴり哀しくなったのは秘密だ。子供たちの前で、嫌いだから、と除けるわけにはいかないのだから。
 そして、レイドもトマトは嫌いである。子供たちの食べっぷりに英秋が鼻の下を伸ばしている隙に、自分の分のトマトを英秋の皿に移動させる。皿に目をやった英秋が、真っ赤に輝くルビーのごとくトマトに一瞬硬直し、ちょっぴりどよんとしながらトマトを食べたのを、またまたきょるりとした目のミッドナイトバッキーが見ていたのは、秘密の話である。
 ちなみに、ルシファとフェルヴェルムは好き嫌いも言わずに良い子に食べました。久巳が、野菜も食べなきゃ大きくなれないよ! と言ったのは、フェルヴェルムには大きかったようだ。

「ふにゅー、お腹いっぱいー」
「もう食べられませんー」
 ルシファとフェルヴェルムが、ひっくり返るように椅子の背もたれに寄りかかった。フェルヴェルムの口の周りを拭ってやって、英秋はお茶を入れ始める。それを手伝うのは、言祝だ。
「はい、どうぞ」
 英秋にマグカップを差し出されて、逢柝は頷いて小さくすする。
 ちろりとレイドを盗み見て、それから英秋に視線をやる。それに気付いた英秋は、にこりと微笑んだ。視線を反らす。やっぱり、違和感アリアリだ。あの仏頂面と、ほにょっとした微笑みの差は一体なんだろう。顔がなまじ同じものだから、余計に違和感を感じる。
 役者とは、役者が演じた者とは、こんなにも違うものなのか。
 ふとそんな事を思って、逢柝は頭を振った。ルシファに視線をやると、にっこりと笑った。そうだ、この笑顔。この笑顔があるのだから、そんなこと、気にするほどの事ではないのかもしれない。
 ただ、慣れるのには、時間が必要だろうけれども。

「さてと、それじゃ、そろそろキャンプファイヤーといこうか」
「そうか、それなら山火事起こすくらい盛大にやらなきゃね!」
「え、いや、山火事ほどはちょっと」
「冗談に決まってるだろう」
「で、ですよねぇ!」
 久巳さん最強伝説。鎮は笑ってやり取りを見ていた。
 昼間にやっておいた木組みの中に、ルシファたちが集めた枝の残りを入れる。久巳が新聞紙に火を付け、木組みの間から入れる。キャンプファイヤーが何かがよくわからないルシファやフェルヴェルムは、興味津々に成り行きを眺めている。やがて黒い煙が薄れ、パチパチと音を立て始める。小さかった火が小枝を焼いて、ぱっと燃え上がった。歓声が上がる。
「ははっ、景気がいいねぇ。そんじゃ、これでどうだ?」
 久巳がほとんど呑み終えた酒を、紙コップごと投げ入れる。瞬間、ボウッと炎が大きく揺らいで、暗い夜を照らした。
「えーと、久巳さん? ちょっと強過ぎじゃないかな?」
「これ一回きりだ、もうやらないよ。酒がもったいないしね」
 くつくつと笑う久巳に、英秋はぽりぽりと頬を掻いた。しかしそれも、きゃっきゃとはしゃぐ子らを見て、頬をゆるめた。ゆらゆらと揺れる炎に照らされて、火の周りを陣取った子供たちの影をゆらゆらと揺らしながらはしゃぎ回る。
「フェルくん、肩車しようか」
「ほんとう!? わーい、佐藤パパっ!」
 飛びついてくるフェルヴェルムをしっかりと抱きとめて、そのままひょういと肩の上に乗せる。きゃはは、と笑いながら、フェルヴェルムは英秋の頭に抱きつく。
「……いいなぁ、フェル君」
 ぽつりと呟いて、ちらりとレイドを見やる。レイドはぎくりと目をそらす。じぃ、とルシファの目線は反れない。やがて根負けをしたのは、やっぱりレイドで。ため息を吐いて膝を着くと、来い来いと手招きをする。ぱっと顔を輝かせて、駆けてくるルシファをその勢いのまま抱き上げると、肩に乗せて立ち上がった。う、やっぱり腰にちょっとくる。
「おらぁ、しっかり掴まってろ。振り落とすぞ」
「きゃーっ」
 笑いながら、ルシファはレイドの頭にしがみつく。レイドの肩の上は、とても高かった。
「フェル君ー!」
「おそろいですね!」
 ルシファが体をよじるものだから、落とさないようにレイドは振り返る。英秋と目が合う。にこりと笑う英秋に、ふいと視線を反らせた。あらら、と英秋がちょっと残念そうに眉を下げる。
 英秋にとっては、レイドもまた可愛い子供、という位置づけである。仲良くなりたいのだけれど、どうしてか嫌われているようで、それは少し淋しかった。
「佐藤パパ、またさっきのやって! ぐるぐるーって!」
 フェルヴェルムの声に、英秋は微笑む。行くぞー、と言って足を引き、ぐんと地を蹴る。遠心力を味方につけて、フェルヴェルムの赤い髪がふわふわと舞った。
「レイドレイド、私もやって!」
「え”」
 レイドは思わず顔を引き攣らせた。あれを。腰を痛めている自分に、ルシファを肩車したままやれと。
 英秋は、普段は何もないところで突然派手に転ぶくせに、運動神経がずば抜けて良かった。もちろん、レイドだって悪くはない。が、今は腰が心配だ。久しぶりにゆっくり休んだとはいえ、いつギクッといってもおかしくはないのだ。
 しかし。
 平然とやってのける英秋の前で、できないとかやらないとか、そんなの許せない。視界の端で、久巳と逢柝がニヤニヤ笑っているのが見える。
「ったく、マジ落ちんなよっ!」
 落ちるほどの勢いで回らなきゃいいだけなんだけどね。足を引いて、ぐんと地を蹴り、遠心力に振り回されないように地を踏みしめた。はしゃぐルシファの声が頭の上で聞こえる。
「いやぁ、楽しそうだねぇ」
「そうですねぇ」
「本当に」
 久巳と泉、それに言祝が微笑ましく見守っている。
「……なんだい、馬鹿弟子。その年で、自分も肩車ー、って?」
「なっ、ちがっ!」
「やれやれ、まだまだ子供だねぇ。仕方無い、あたしが背負い投げしてやるよ」
「なんでそうなんだよ、クソババアっ!」
「師匠に向かってクソババアとは、いい度胸してんじゃねぇか、馬鹿弟子。言ったのはこの口か? この口が言ったのか」
「っひ、ひひへふ! ふひはひひへふ!」
 変な顔、と久巳は笑う。逢柝が、可愛くないわけがない。自分が育てた、可愛い可愛い、弟子なのだから。
「そういや、鎮はどこ行った?」
「さあ……何やら準備がある、とおっしゃっていましたが」
 準備、と反芻して、言祝は小さく笑んだ。
 外見はクールビューティーな言祝だが、内心はとてもはしゃいでいる一人である。クールに振る舞うのは、実はそのはしゃいでいるのを隠す為かもしれない。そこは、自分でもわからないけれど。
「ねえ、みんな。そろそろテントでおしゃべり、ってことにしない?」
 鎮が男テントから出て来て、言った。穏やかな笑顔のその眼鏡の奥に、意地悪気な光が宿っているのを、言祝は見逃さなかった。
 今、この時を楽しいと、感じる。
 そして、鎮も楽しんでいる。
 それが、言祝にはすべてだった。
「そうだね、火も弱まってきたし」
「あ、それじゃあ、消しておきますね」
 フェルヴェルムが腕を振ると、小さくなった火がふつりと消えて、白い煙が細く空へと昇っていった。
 ルシファを下ろして、レイドは腰を伸ばす。ようやっと解放された、という思いはあるが、楽しそうだったからまぁいっか、という思いの方が強くある。ルシファとフェルヴェルムが我先に、とテントに駆けて行く。逢柝、泉、久巳、言祝、と続いて、レイドや英秋が入る頃には、いくら大きめだとはいえ、かなりぎゅうぎゅう詰めのテントということになっていた。
「ちょっと……つか、かなり狭いな」
「でも、隠れ家みたいでいいですよね」
 泉が笑って言うと、ルシファとフェルヴェルムが、ねー、と笑う。まぁいいか、と逢柝もまた笑った。
 輪の真ん中では、外にかけていたランタンを英秋が持ってきて、図らずも下から光が当たるという形になり、レイドはひくりと顔を引き攣らせた。
 まあそれは置いておくとして、ルシファたちの川での出来事に花が咲いた。逢柝が川で手掴かみで魚を捕ろうとしたとか、逢柝は取れなかったが、久巳が一発で取ってしまって、何故か二人の手合いが始まったとか、川で冷やしていたスイカを割ろうとして足を滑らせて転んだとか、種をどこまで飛ばせるか競い合ったが、川に向かってだったので結局誰が一番遠かったのかわからなかったとか、身振り手振りを交えての話し振りに、笑いが途絶える事がなかった。
「そういえば、ご飯の用意してる時に、ちょっと気になる話を聞いたんだけど」
 そんな川での話に花が咲いて一段落が着いたところで、鎮は良い笑みを浮かべた。そりゃあもう、とても良い笑顔だった。ルシファたちが興味深そうに身を乗り出してくる。レイドだけが一人、落ち着かないように後ろに寄っている。くすりと笑って、真顔になって、鎮は全員の顔を見回した。ごくりと息を呑む。
「昔、ある女がいた。女は夏だというのに、ボロボロになった長袖の服を着て、何故か裸足で、山を彷徨い歩いていた」
 ゆらり、ランタンの炎が揺らいだ。ぴくりとレイドが眉をひそめる。
「そんな身なりだから、いかにもお金は持っていなさそうだ。けど、長い長い女のボサボサの髪には、光るものが見えていた。……なんだと思う?」
 小さな沈黙があって、鎮が小さく言った。
「銀の髪飾り……簪だったんだ」
 小さくこくりと息を呑む音がする。鎮は続けた。
「女は、お風呂にも入っていないようで、手や足は真っ黒だ。顔は長い髪で隠れて見えないけれど、汚れていたと思うよ。食べ物も、あまり食べていないんだろうね。もしくは、山には食べられる物がたくさんあったけど、毒のあるものにあたってしまって、食べなくなったのかもしれない。破れた服から見える肌は、まるで骸骨のように痩せ細っていた」
 ちろちろとランタンの火が揺れる。
「その日は、とても暑い日だった。裸足の女には、焼けたような石の熱さはたまらなかっただろうね。風もなく、陽射しはひどく眼を射した。そんな時、耳にさらさらと細い音がした。女は走った。走って辿り着いたのは、川だ。女は川べりにたどり着くと、頭から突っ込んで水を飲んだ。痩せ細った女には、まるで天からの恵みだったろう。時々息継ぎをしながら、女は貪るように水を飲んだ。──そして、それをたまたま見ていた人物がいた。山を越えるようとしていた男がいたんだ。男の家は貧しくて、でも結婚を約束した女性が居た。そしてその女性の為に、婚姻の印を買おうと大きな街へ働きに行く途中だったんだ。山から大きな街まで、ひと月あまりもかかる。女性は一緒に居てくれるだけでいいと言ったけど、そこは男のプライドと、これからのことを考えての事だね。生まれてくる子供が不幸でないようにと、男は山を越える決意をした。けれど、男は見てしまったんだ。あまりにボロボロの姿の女が、とても立派な髪飾りをしているのをね」
 ランタンが、ジジ、と音を立てた。
「男は頭を振った。いくらボロボロの姿とはいえ、あれはもしかして誰かの形見かもしれない。男には父の形見の小刀があったから、そう思ったんだね。例えどんな大金を積まれても、それだけは手放せないと、手放さないと思っていたからだ。しかし、暑い陽射しを反射して輝くその髪飾りは、とても美しかった。男は、どうしてもその髪飾りが欲しくなってしまった」
 真剣な眼差しが、鎮にそそがれる。
 ランタンが、風もないのにボゥと揺らめく。
「男は女に近づくと、その肩を叩いた。女は驚いて、飛び跳ねるようにして立ち上がった。女は川の水で汚れが流されたのか、とても白い顔をした女だった。しかしその容貌は、男が思わず顔を歪めてしまうほどに、醜かった。女が逃げ去ろうとして、男は慌てて声をかけた──」

『驚かせて申し訳ない。あまりにその髪飾りが美しかったものだから、声をかけずにはいられなかったのだ』
 男が言うと、女はうつむく。長い髪で表情は見えないが、それでいっそう、銀の簪が見えた。
 銀の簪は、瓢箪が「すかし」という技法を持ち入れられた上品なものだった。瓢箪というのは古来から縁起の良い物とされており、三つ揃えば三拍(瓢)子揃って縁起が良い、六つ揃えば無病(瓢)息災。「瓢箪から駒が出る」ということわざにもあるように、六瓢は六つの吉運を呼ぶ幸運の力があると云われている。
 女の簪は、すかしの成された大きな瓢箪一つと、ビラに釣り下がる瓢箪が五つ。
 うつむいたせいで、しゃらりと五つの瓢箪が鳴った。男はそれを挿した婚約者を思い浮かべ、うっとりとした。なんとしても、その簪が欲しくなった。
『もし、その髪飾りを譲っては貰えぬか』
 女は口を開いた。
『これは、亡き母に頂戴したもの。誰とも知らぬ方に、差し上げるわけには参りません』
 女の声はかすれ、耳障りな音をたてた。男は嫌な気分になった。さっさと簪をいただいて、村へ引き返したかった。
『もちろん、ただでとは云わぬ。わたしが持っているすべてを、そなたに差し上げよう』
『そんなものはいりません。私は、母がくれたこの髪飾りがあれば、それで充分なのです』
 男はどうしても諦め切れず、あれやこれやと言うが、女は頑なに首を振るばかり。あまりの融通の利かなさに、男はついに怒鳴った。
『不細工のくせに、そんなたいそうな髪飾りが似合っているとでも思っているのか。この醜女め。ええい、その銀の簪を寄越せ』
 男は女に飛び掛かった。川の中で揉み合って、転げて逃げようとした女の髪を引っ掴み、男は頭を押さえつけた。女はもがき、その力は思いのほか強く、男は女の髪に挿さっている簪を引ったくるように掴むと、女の首に突き刺した。男が簪を引き抜くと、真っ赤な血が噴き出し、川を真っ赤に染め上げた。女の血で、男の体も真っ赤に染まった。女はぴくりとも動かなかった。
 男は揉み合っている最中に絡んだ女の髪を千切るように解いた。まるで蛇が絡み付いているようで、とても気色が悪かった。返り血も洗い流し、女はそのままに、手にはしっかりと銀瓢箪の簪を握って、村へと戻った。
 男が戻ると、婚約者は驚いた。街へ行くだけの時間で、男が戻ってきたからだ。しかしその手に持った美しい細工の簪にとても感激し、そんな疑問など吹き飛んでしまった。二人は結婚し、幸せな結婚生活が始まった。
 始まる、はずだった。
 その晩、幸せな夜にまどろんでいると、風でガタガタと障子がなった。風が強くなったな、と思っていると、何かずるずると引きずる音がする。男はまるで水を吸った布団を引きずっているような音だと思った。
 ぴしゃん。
 ずる。
 ぴしゃん。
 ずるる。
 風の音の隙間に聞こえるその音はだんだんと近づいて、男は顔をしかめた。やがてうなり声のようなかすれた声が聞こえて、男は飛び上がった。妻が何事かと目を覚ます。男は歯の根も噛み合ず、ガタガタと震えていた。
 ガタン。
 一等大きな音がして、妻も思わず体を縮こまらせた。
 ずるり。
 びしゃり。
 ずるりずるり。
 びしゃり。
 男は隠れる事も忘れて、ただ震えていた。
 音は近づいて。
 障子に影が映った。
 それは、長い長い髪の。
 妻は悲鳴を上げた。
 ずるずると、びしゃびしゃと、水音と共に、真っ黒い髪の、全身を真っ赤に染めた女が障子を開けて這い上がってきた。
 男は悲鳴を上げるのも忘れて、それを見ていた。
 妻が喚く。その妻の髪には、きらりと光る、銀の髪飾り。
 真っ赤に染まった腕が、妻に伸びてきて、妻はそのまま失神した。その拍子に、簪がぐさりと頭に刺さって、真っ白な枕が真っ赤に染まった。
 真っ赤な腕が、妻の頭をねじって、真っ赤に染まった銀の髪飾りを引き抜いた。男の顔に、生暖かいものが吹き付ける。
 真っ赤な体が、ぐぅるりと男を振り返る。
 一等大きな風が吹いた──

「──朝になって、起きてこない二人に、両家の親は笑い合っていた。けれど、昼になってもまだ起きてこないことにはさすがに不審に思い、二人の寝所に入ると、そこには真っ赤に染まった布団と、二人が横たわっていた。横たわる二人の顔は恐怖に引き攣り、流れる血はまるで川のようだったという……」
 沈黙。
 風もないのにランタンの火が明滅する。
 レイドは顔を引き攣らせた。泉はけも耳を垂れさせ、けも尻尾をぶわっと膨らませてぷるぷるしている。
「それで、実はね」
 まだ続があるのかよ、とレイドはもう泣きそうになった。泉にいたってはもう涙が零れんばかりである。
「女が真っ赤になったっていう、川なんだけど」
 ひくりとレイドが青ざめた。もう、それ以上言わなくていい。もう、わかるから。だからもうホント言わないでください、頼むからっ
「そこに流れてる、川なんだって……」
 がくぅ、とレイドは項垂れた。ランタンがボボッと音を立てて輝く。外では風の吹く音がする。みっしりと詰まったテントの中は暑いぐらいのはずだが、水を打ったような静けさと相まって、なんだか寒い。
「その女の人」
 ルシファが口を開いた。
「髪飾りが戻って、安心、できたのかな……」
 うつむくルシファに、英秋が微笑む。鎮も、ただ優しく微笑んで、ルシファの頭をなでた。逢柝も微笑んで、その手を握った。
 ルシファが笑顔になる。

 そうして、もういい時間だから寝よう、ということになり、女性たちをテントまで送った。テントの中では布団ではなく、寝袋である。
 女性テントは二つあるので、久巳と言祝で一つ、ルシファ、泉、逢柝で一つを使うことになった。
「いやぁ、鎮はなかなか、話が上手いね」
「ええ、本当に」
 大人な女二人は、そう微笑み合って寝袋に入った。
「……ねぇ、言祝?」
「はい、久巳様」
 言祝は、作られた人形だという。しかしその表情は豊かで、とても人形だとは思えない。調理の時には、なかなか面白い一戦を交えた。二人に取っては、技の競い合いだったのだ。一緒にいて、楽しいとも思った。
「楽しかったね」
「はい」
「また、来たいねぇ」
「是非に」
 くすくすと微笑み合って、英秋が貸してくれた電池式のランプを消す。
 いい夢が見られそうだ。

 泉はぷるぷるとしながら寝袋に潜り込んだ。
 怖いの、怖いのはだめなのです。
「そんじゃ、明かり消すぞー」
 逢柝の声に、泉はがばっと顔を上げる。
「消しちゃうんですかっ!?」
「そりゃ、寝るんだし」
「消さなくっても、眠れるじゃないですかっ!?」
 泉の必死な形相に、逢柝は思わず笑ってしまった。ルシファが泉の手を握る。
「大丈夫だよ、いっちゃん。こうやって、ずっと手を握ってるから」
 それに、逢柝も笑う。
「ほら、こうしてりゃあ、怖くねぇだろ?」
 本当は、ルシファを真ん中にして寝るはずだったのだけれど。にこにこと笑う、ルシファと逢柝に挟まれて、泉ははにかんだ。
 明かりを消すのはちょっぴり怖いけれど、皆がいるから大丈夫。
 空には満天の星。
 楽しい夢を見ながら、おやすみなさい。

 一方の男テントでは、レイドが寝袋に入って縮こまっていた。レイドは悪魔であるが、お化けとか幽霊とか同じだけどとにかくそういうものが大の苦手だった。逆にルシファはそういったものは平気だった。植物の意思を解する彼女は、見えないものに対する恐怖というものは、ないのだろう。何に対してだって、友達になりたがるからだ。
 いや、それにしても。
 あのランタンの揺らめきとか風とかなんだったのだろう。つーか、すぐそこの川って、昼間にのんびり釣りをしていたところではないか。楽しく釣りをしている場合ではない場所じゃないか!
 やだやだと、レイドはさらに丸まるように体を曲げた。隣りには幸せそうにフェルヴェルムを寝かしつける英秋、その向こうが鎮である。
 隣りの寝息が聞こえてきた頃。
 いまだ、レイドは眠れずにいた。鎮の話が恐くて、何度眠ろうと思ってもぱっちりと眼が開いてしまうのだ。先ほど鎮がトイレだろうか、テントを出て行ったきりで、他には物音すらしない。
 ──と。
 ず、ず、と何かが引きずるような音がした。レイドはびくりと震えた。
 ずる、ずる、とそれは確実にこちらのテントに近づいてきている。女テントへ行かなかったのは不幸中の幸いとは思うが、レイドの頭の中にはさっきの鎮の話が頭に蘇ってくる。
 まさか。
 思うが、まさか自分があの川で釣りをしたからやってきたのだろうか、とか、そんな馬鹿なというようなことを考えてしまう。
 ずる、ずる、とそれはやってきて。
 ついにテントの入り口の前で、止まった。
 緩慢な動きでアウターとインナーのファスナーを上げる音が、恐怖を煽る。
 レイドは息を殺した。
 入ってくる。
 叫ぶような心臓の音が聞こえる。
 それは、レイドの方へやってきて。
 ……ひたり。
 冷たい感触が、レイドの首筋に当った。
「っぎやぁああああああああああああああああああああああっ!!」

 翌日。
 疲れ果てて眠っていた女性陣を、レイドの悲鳴で起こすことはなかった。
 が、ブツブツと何事かをつぶやきながら、レイドは明らかにげっそりとやつれて、人目をはばかるのも忘れて白イルカのユウちゃんを抱きしめたまま帰ったのであった。

クリエイターコメントたいっへんたいっへんお待たせ致しました……っ!
木原雨月です。

長いお時間いただいたにもかかわらず、この体たらく。
ただただお詫び申し上げるとともに、楽しんで戴けることをただただ祈るばかりです。
怖い話、怖い話が全然思い浮かばなくて……。
少しでも怖がっていただければ、と思います。

それでは、この度はオファー、誠にありがとうございました!
公開日時2008-09-30(火) 18:50
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